読書会に参加する2026/03/17 13:33

教員になりたての頃、先輩の教師に誘われ読書会に参加していた。2週間に1度くらいのペースだったと思うが、こんなふうに若い教員を誘ってくれる人がいて、1冊の本を毎回数ページずつ読み合い、日々の現場の話や職場の話をした。

本の内容が直接役に立つことはなかったとしても、そのような場があったことに、当時は随分助けられたと思っている。

それから時を経て、私を誘ってくれた先輩と、自分は同じ世代になったのに、それどころかもう定年退職してしまったのに、読書会を開いたり、若い教師を誘ったりということは、ついに自分にはできずに終わってしまった。

林京子「空き缶」授業プラン2026/02/09 11:14

林京子の「空き缶」掲載の高校国語教科書は第一学習社の「精選言語文化」しか確認できなかった。授業記録とか指導案をネットで探したが見つからなかった。もっと探してみるつもり。

日の目を見る可能性はあまりないのだが、自分なりに私案をつくってみた。きぬ子の机の上におかれた空き缶の存在感とくらべたら、あまりにもラフな「机上の空論」ぽい。

学習者に長崎原爆についての理解が下敷きにあれば、「きぬ子の空き缶」の場面だけを取り立てた授業も可能だと思う。

プロコン分析2025/12/20 11:55

このプロコン分析は、国語表現の授業でファシリテーションを体験するという設定で行っている。当事者として責任をもって合意形成に参加参画する練習をすること。グループワークではシートを使い話し合いを「見える化」することの大切さも分かってもらいたい。

大人の話し合いでも対話するのは難しい。「議論」それも不毛な「議論」になってしまうことが多い。相手の立ち位置からはどう見えているのかを互いに探り理解し、自分のバイアスを自覚し調整することに私達は慣れていない。「苦手なのは慣れてないだけ」「うまくいかないのはただの練習不足」以上、座右の銘。

補足:本文の「茶髪」の合意でいえば、「実際やってみなければ分からない」問題につきあたり、それなら試行期間を設けて、その結果を受けて再協議という案も出るかも知れない。問題のありかの全体を共有できれば、合意の道筋は見えてくる。

TEDにチャレンジふりかえり2025/12/12 07:34

国語科の「聞く・話す」領域を、学力、知識や技能としてとらえるべきでない。「聞く・話す」力を育てようとか、「聞く・話す」力をABCで評価しようとするのは全く本末転倒で、生徒に「聞く・話す」ことを苦手にさせている。「聞く・話す」ことの楽しさや、「聞く・話す」ことを通じてできる人との「つながり」を体験することこそが教育としての国語科の役割ではないだろうか。

アダム・カヘンを読む①2025/11/24 08:30

「アダム・カヘンの10の提案」の引用で紙面がうまってしまった。

アダム・カヘンはグァテマラや南アフリカで、対立する人々が内戦後の新しい未来の国づくりをすすめるために、ファシリテーターとして支援し成果をもたらした。対立し憎み合った人々が、力の行使によらずに、まさにオープンに互いに話し合い聞き合い問題の解決にとりくんだ。

世界、日本の戦争や紛争のニュース、XやYouTube、ヤフコメの言論を見てると「相手を打ち負かす」ことでしか問題を解決できない、あるいは、あきらめや投げ出して逃避するしかないという考えに立っているようにみえる。それは例えば現代の教育問題や学校の中のさまざまな問題についても同じだ。

問題の解決のために、ファシリテーションがもっと試みられるべきだと思う。ここに書かれている10の提案はどれも私たちに全く足りてない、実行できてないことばかりだ。