戦争を考える映画①「黒川の女たち」 ― 2025/08/03 11:20

盛岡は「映画の街」と呼ばれることもあるのですが、ドキュメンタリー映画はスルーされやすいです。東北でも宮城や青森では上映してるのに、盛岡では上映されなかったドキュメンタリー映画というのが、これまでけっこうありました。めずらしく盛岡でも上映された映画です。私がいったときはけっこう席も埋まっていました。年配者(私も含めて)が多いのは仕方ないとして、若い人もちらほら見えました。よい映画でした。

戦争を考える1冊①「時間」堀田善衛 ― 2025/08/04 11:15

堀田善衛のことを、まことに無教養で知らなかった。今回興味を持ったので、「堀田善衛を読む」集英社新書を一気読みした。正真正銘文字通りの知識人。「ゴヤ」という小説を執筆するにあたり「ゴヤ」の作品を実物で全部観たという。「時間」も東京裁判の記録をたんねんに取材し、中国人にも取材したようだ。本をたくさん読んだ人という意味の「知識人」ではなく、行動の人でもある。ベ平連の運動に参加し、脱走米軍兵の支援もしている。アジアアフリカ作家会議の事務局長もやっている。1955年発表の作品ということだが、最初に驚いたのは、南京大虐殺がどのように実行されたのか「正確」に描写されていることだった。研究調査によって現在では明らかになっている南京大虐殺の詳細が、この時代に既に、まさに正確にルポルタージュのごとく書かれていた。「まぼろし論」が登場するのは、このずっと後1990年台なのだ。

戦争の言葉①「集団自決」 ― 2025/08/08 11:56

「高齢者は集団自決を」という言葉が許せないのは老人差別よりも、「集団自決」という戦争中の痛ましい事件を、笑いながら面白半分に使ったことだ。「集団自決」の痛ましさ、当事者の心の傷の深さに思いが及ばないからだろう。

戦争の話の中でよく使われる言葉。その「言葉」がどのような「事実」と対応しているのか(正確に対応しているか)を、改めて検討してみる作業が必要ではないかと思う。

国会議員が妄言を吐き、歴史的事実をねじ曲げると、禍根はそのまま信じる人がいるということだけですまない。妄言が「さまざまな見方・考え方がある」「何が正しいかわからない」と相対化されてしまうことだ。妄言を吐くような人物を絶対議員にしてはいけない。

戦争の言葉②「大○○戦争」 ― 2025/08/10 17:26

参政党は「大東亜戦争」という呼称を使います。「つくる会」系の育鵬社、自由社の歴史教科書、竹田恒泰の「国史」も「大東亜戦争」という言葉で書いてます。「大東亜戦争」という呼称にこだわってます。

これは自分の反省ですが、戦争の呼称についてあまり重大に考えてきませんでした。「太平洋戦争」という言葉も、よく考えずに使ってしまってたように思います。「真珠湾攻撃」と言う言葉を使うことで、同じ日の「マレー作戦」のことは頭からはなれてしまう効果があるように。「太平洋戦争」と呼んでしまうと、あの戦争が真珠湾攻撃から広島長崎までだったという「頭」にいつのまにかなって、そのとき、満州も南京も重慶も戦争に入ってない。そういうことがあるのではないかという反省です。1931年から1941年のあしかけ11年の方が、1941年から1945年の5年よりずっと長いのに、です。

戦争の言葉③「悠久の大義」 ― 2025/08/15 05:45

「戦陣訓」こそ、東条英機の最大の罪なのでは。「悠久の大義に生きよ」「生きて虜囚の辱めをうけず」という「戦争の言葉」がどれほど多くの犠牲を強いたことだろう。

「悠久の大義」という架空の観念で兵士に「死」を受入れさせた。「戦死」を美化し、指導者達が責任から逃げるのを助けた。